SPRITZERがIoTを拓く。ソニーが新しいプラットフォームを提案

ソニーセミコンダクタソリューションズは、GPS測位やハイレゾ再生、ノイズキャンセル、センサフュージョンなどの機能を実現するチップセットを開発し、これを搭載したIoT向け開発ボード「SPRITZER」を、2017年8月に開催されたMaker Faire Tokyo 2017で初披露した。基板などの情報は、オープンソースハードウェアとして無償公開する。目玉は、ソニーらしさ全開の尖った機能と、“未来”を感じさせるユニークなマルチコアMCUアーキテクチャ。技術に対する感度の高い熱狂的なファンを味方に付けて市場を拓くAV機器やゲーム機の手法を、IoTやMaker Movementの世界でも展開する。

メインイメージ
集合写真(左より)
ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社 IoTソリューション事業部
太田 義則 氏
統括部長 仲野 研一 氏
日沖 和也 氏
統括課長 小泉 貴義 氏

まさかソニーが…

ソニーセミコンダクタソリューションズは、同社製のGPS受信機能付きマイクロコントローラIC「CXD5602」と電源管理IC(PMIC)「CXD5247」を搭載するIoT市場向けの開発ボード「SPRITZER」を発表した。

本ボードの特徴は、「GPS機能の搭載」、「低消費電力」、「センサフュージョンの実装」、「充実したボイス/オーディオ機能」の4点。センサフュージョンとは、複数のセンサから得たデータを計算処理することにより、単独のセンサでは得られない有用な情報を取得できるシステムを指す。

本ボードでGPS機能を使い、1Hzでトラッキングしたときの消費電力は6mWで済む。センサフュージョンについては、ソニー株式会社のR&D部門が開発したミドルウェアを利用することにより、「歩いている」、「電車に乗っている」、「エレベータに乗っている」など、利用者の13通りの行動を認識できる。オーディオ機能については、ウォークマン相当の音質を実現できるという。例えば192kHz/24ビットのハイレゾ音源ファイルの再生や、状況に合わせて抑制するノイズの周波数特性を切り替える適応型ノイズキャンセリングの機能を実装可能(ノイズキャンセリングの機能は、企業ユーザー限定の提供)。

同社は本ボードを、ドローンの飛行制御、音声コマンドで操作するスマートスピーカ、ネットワークカメラ、スマートグラスなどのウェアラブル機器の開発に利用できると見ている。

本ボードの発表に関して注目したい点が、そのお披露目の場だ。同社は、いわゆるビジネス展示会ではなく、個人や少人数の開発者が製品を設計・製造するMaker Faire Tokyo 2017を、発表の場として選んだ。

併せて同社は、「電子パーツの販売店やオンラインショップを通じて個人のユーザーにも販売すること」、および「オープンソースハードウェアとして基板やインタフェースの情報を開示すること」も宣言した。「私どもは半導体専業メーカーなので今までこういうビジネスに取り組んだことがなく、これは新しいチャレンジ。『まさかソニーがこんなことをやるとは思わなかった』という声を、いろいろなところで聞きました」(太田氏)。

基板を3段積み、カメラも用意

SPRITZERでは、大小さまざまな基板を組み合わせてシステムを構築する。現在、同社が提供を計画している基板は、以下の通り。

WLCSP(100pin)版MCUとPMICを搭載する、main board Type A (図1左)および、カメラインタフェース付FCBGA(185pin)版MCUとPMIC搭載の、main board Type B。

プロセッサ基板からI/O信号を引き出したり、I/O電圧を3.3Vに変換したりするインタフェース基板、extention board(図1右)。

図1

図1:SPRITZERのmain board Type A(左)とextension board(右)。※基板の名称は暫定的なもの

main boardの上には、無線通信機能やセンサ機能を追加する小さなモジュール基板(孫基板)を接続できるようになっており、同社はこれを「ナノシールド」と呼んでいる。ナノシールドの第1弾がLTE moduleで、これは2016年1月にソニーが買収したイスラエルAltair Semiconductor社のLTEモデムの技術を利用して実現する。

ナノシールドとは別に、main board Type Bに接続する専用のカメラモジュールも用意する。さらに、extension boardはその両端にArduino互換コネクタを備えており、3.3Vで動作する市販のArduinoシールド基板を接続することも可能。

先進か異形か、前代未聞のMCU

SPRITZERを特徴付けているのが、main boardに搭載するMCUだ。このMCUは、1つのGPS受信コア、1つのARM® Cortex®-M0+コア、6つのCortex-M4コア(FPU機能搭載)を搭載しており、これら8コアの間をクロスバススイッチで接続したマルチコア構成を採っている。つまり、任意のCPUコア(GPS受信コアも含む)の間で直接通信できる。標準品のプロセッサIC製品で、“1チップマイコン”相当のCPUコア(Cortex-M)をこれだけ多く搭載する例は珍しい。

例えば各CPUコアの処理内容は以下の通り。音楽再生などの音声圧縮コーデックや高音質化信号処理はCortex-M4コア(FPU機能搭載)を4つ使ったソフトウェア処理として実現する。残りの1コアはGPSを使った位置情報アプリケーションに、もう1コアはユーザーアプリケーションの実行に使用する。Cortex-M0+コアは、チップ全体の電源管理や、割り込み信号によるCPUコアの起動処理などを行う。

GPS受信機能は、米国が運用するGPS衛星に加えて、ロシアのGLONASSにも対応する。今後、中国のBeiDouや欧州のGalileoにもファームウェアを対応していく予定。

PMICは、DC-DCコンバータやバッテリ充電回路に加えて、ヘッドフォン用D級アンプ、マイク用インタフェース(アナログ4チャネルまたはデジタル8チャネル)なども備えている。

OSとして、オープンソースのリアルタイムOSである「NuttX」をサポートする。NuttXは、POSIXライクなAPIに対応したOSで、使い勝手がLinuxに近いという特徴がある。OSの機能を取捨選択するためのコンフィグレーションの仕組みも備えている。

ミドルウェアは、GPS測位計算やオーディオCODEC、センサフュージョンの機能を用意する。マルチコアのCPU間通信に対応した同期・通信ライブラリ(ASMPフレームワーク)も提供する。なお、上述の13種類の行動認識のミドルウェアと、ノイズキャンセリングの機能は、企業ユーザー限定の提供となる。

ソフトウェア開発環境は、「Arduino IDE」、「Eclipse IDE」、京都マイクロコンピュータが提供するVisual Studioベースの「SOLID-IDE」に対応する。

突き詰めた技術をどう拡げるか

同社がSPRITZERを今回のような形で開発・製品化するに至った経緯は、以下の通りである。

事の発端は、GPS受信ICだった。同社は2013年にGPS受信IC「CXD5600」を出荷した。このICはカシオ計算機のGPS腕時計「G-SHOCK GPW-1000」やソニーのランニング用ウォークマン「Smart B-Trainer」などに採用されている。2016年には、その後継品で、消費電力を76%引き下げた「CXD5603」の量産を開始した。このICは、製造に28nmのFD-SOI(fully depleted-silicon on insulator)プロセスを採用しており、消費電力を抑えるため、動作電圧を通常の1.1Vから0.7Vに下げている。そして、このICとマイクロコントローラを合体させたのが、今回のCXD5602である。CXD5602は、CXD5603と同じ製造プロセスを採用している。

ここで問題が一つあった。動作電圧を0.7Vに下げると、CPUの処理能力は通常の1/4程度に低下する。しかし、処理能力は落としたくない。この問題を解決するため、同社はCPUコアの数を増やすという方法を採った。並列処理システムでは一般に、コア数が4個になっても処理能力が4倍になることはない。そこで余裕を持たせる意味で、Cortex-M4コア(FPU機能搭載)を6個搭載した。マルチコア構成の採用が決まり、クロスバススイッチのインターコネクトやCPU間通信の仕組み、同期・通信ライブラリなどを新規に開発した。「尖ったもの、やり過ぎ感のあるものを作りたい、他社にはないソニーならではの製品をめざして、今回のICを開発しました」(仲野氏)。

ここで同社は、エンジニアの視点で見ると、誰もが「面白い」と言ってくれる点に着目した。「オープンソースハードウェアとして開発ボードの情報を公開したら、この商品の活躍の場が広がるんじゃないか。そう考えました」(仲野氏)。

他のメーカーにはない尖った技術でユーザーの共感を誘い、熱狂的なファンを味方につけて新しい市場を切り拓く。今回の試みは、AV機器やゲームの世界でソニーが成功を収めてきたこの手法を、IoTの世界でも展開しようとしている。

広がる構想、並列分散処理の支援も

SPRITZERの出荷開始時期は2017年末〜2018年始を目指す。なお、CXD5602とCXD5247については、2017年の夏に出荷を開始している。今後の展開として、同社はいくつかの取り組みを考えている。

まず、ナノシールドのラインアップを増やし、開発できるIoTシステムの幅を広げる(図2)。サードパーティと連携し、無線通信やセンサのナノシールドを用意する。「私ども1社でできることには限りがあります。モジュールメーカーやMaker向けパーツを企画している企業、個人のMakerの方たちの協力を仰いで、エコシステムを構築します」(太田氏)。

図2

図2:電子部品やモジュールと組み合わせてIoT端末を構成。

無線通信モジュールについては、Wi-FiやBluetooth、BLE、LoRa、SIGFOXなどへの対応を考えている。ソニーが2017年4月に発表した、100km以上の遠距離通信を可能にするLPWA技術にも対応する予定。

次に、ミドルウェアのラインアップも増やしていく。例えば、音声トリガや音声コマンド、音声認識などのミドルウェアを実装できるようにする。

ミドルウェアについては、同社が自社開発のものをユーザーに提供するケースと、オープンなコミュニティなどで開発されたものを利用するケースが考えられる。「GPS測位計算やオーディオ処理の一部の機能は、私どもが開発したものをユーザーに公開します。ハードウェアをウェイクアップする音声トリガの機能も準備しようと思っています。しかし、音声コマンドや音声認識となると、そのサポートを含めてちょっとしたライブラリを用意する、というレベルではなくなります。これらについては、オープンな世界で議論して、そちらのものを活用していただきたい、と考えています」(仲野氏)。

同社は長期的な計画として、マルチコアプログラミングの支援も検討している。現状、ユーザーアプリケーションを実行する単一のCPUコア(シングルコア)のみをユーザーが使用するぶんには、従来のアプリケーションソフトウェアの開発とさほど変わらない。OSとしてNuttXがあり、Arduino IDEなどの開発環境もある。「いろいろな顧客からマルチコアのプログラミングをしてみたい、という要望がありました。ツールの使い勝手など、R&Dが必要な部分もありますが、ゆくゆくは簡単にマルチコアプログラミングを体験できる環境を提供していきたいと考えています」(太田氏)。

APS EYE'S

新しいプラットフォームとして「SPRITZER」を提案したSony。高度なセンシング技術とFD-SOIプロセスとの出会いによって、これまでの常識を覆すマルチコアSoCを誕生させた。圧倒的なローパワーと、高いパフォーマンスを同時に可能にしたテクノロジーは、IoT時代の新たな幕開けにふさわしい。