モータ制御のプロと創り上げた高性能と柔軟さを両立するベクトルエンジン

エアコンや冷蔵庫、洗濯機など多くの家電製品で省エネが求められている中、製品に搭載されているモータとそれを制御するインバータが注目されている。東芝セミコンダクター&ストレージ社は、いち早くモータ駆動を必要とする家電向けにインバータ制御機能を取り入れたマイコンを提供するなど、モータの低消費電力化や高性能化に取り組んできた。その集大成が東芝ARMマイコンに搭載した「ベクトルエンジン」である。ここでは、ベクトルエンジン開発の歴史と今、今後の展開、さらにはベクトルエンジンを搭載したマイコンTX03シリーズが実際に使用されているアプリケーションについて聞いた。

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多様な要求に応えるモータ制御の高度化

省エネが叫ばれて久しい中、家電開発を進めるうえでポイントとなるのは、エアコンや冷蔵庫、洗濯機などモータを使用する製品の低消費電力化である。しかし消費者のニーズはそれだけでなく、多機能化、静音化、低価格化にも応えていかなければならない。

このような多様な要求に応えるソリューションのひとつとして注目されているのが、モータ制御の高度化である。エアコンを例にすると、液体が気体ガスに蒸発する際に奪われる気化熱により冷房が行われるが、そこでキーとなるのが、コンプレッサの性能であり、それを駆動するためのモータの性能 = エアコンの性能となってくる。いわゆるオンとオフだけのモータ制御だと、冷房を単純にオン/オフするだけのものになってしまう。そこをインバータ制御にすることで、無段階でスムーズに運転させることができる。

インバータ制御エアコンは、運転開始時にコンプレッサを高速で運転することにより大きな能力を得ることができ、設定温度に近づいた時には、低速での連続運転ができるため、大きな省エネ効果が期待できる。さらにインバータ制御では、静音性やきめ細かで高度な回転制御ができるなどメリットが大きい。そのため、インバータ制御を実現するために高性能なマイコンの存在は欠かすことができない。

モータ制御はモータの種類に応じて様々な方式が提案されており、近年の家電製品にはモータ効率の優れたブラシレスDCモータが多く使われている。ブラシレスDCモータは永久磁石で構成されるロータの位置に応じて、ステータに交流電圧を印加して駆動する。このロータの回転位置を検出するためには、ホールセンサなどの位置センサや、位置センサに替わる位置検出技術であるセンサレス方式を使用する。位置センサレスにすることにより、低コスト化が可能である。

一方、モータの駆動方式には、印加する電圧波形から、矩形波駆動と正弦波駆動と呼ばれる方式がある。矩形波駆動は比較的簡単な制御であり、センサ付き方式、センサレス方式のどちらも多用されている。一方の正弦波駆動は詳細な位置情報が必要であるが、モータの高効率化、低振動・低騒音化といったメリットがある。特に、正弦波駆動のセンサレス化の実現には複雑な制御が必要で、これを実現可能としたのがベクトル制御である。

ベクトル制御は、制御そのものが難しく、さらにモータ電流を瞬時に検出してさまざまな演算処理を行う必要があることから、ベクトル制御を実現するマイコンには高性能なコアと高速なADコンバータが必要である。

モータ制御で多くのノウハウを持つ生産技術センター

東芝の生産技術センターは、東芝グループの「モノづくりセンター」として機能している研究所である。その下部組織に制御技術研究センターがあり、これまで、様々な製品に搭載されているブラシレスDCモータシステムの先行技術研究・開発や半導体製品への技術展開などに多くの実績があり、ノウハウも豊富に保持している。

例えばエアコンの開発について、下記のような話をしてくれた。「エアコンに搭載されているコンプレッサやファンのモータには、1980年代まではインダクションモータが用いられていました。その後、省エネが求められるようになり、1990年代にはモータ効率の優れたブラシレスDCモータがインバータ制御されるようになりました。

コンプレッサは、内部が高温になるために位置センサを取り付けることができません。そこで、位置センサがなくても矩形波駆動を実現するセンサレス矩形波駆動制御技術を開発しました。その後、高効率化に加えて低振動・低騒音化への要求が高まり、センサレス正弦波駆動制御(いわゆるベクトル制御)技術の製品化に成功しました。

ファンでは、風などの外乱に対応すべくホールセンサなどの精度の低い位置情報から正弦波駆動する技術を開発しました。その後、低コスト化要求が高まると、コンプレッサで培った制御に新たな技術を加えることで、ファンでもセンサレス正弦波駆動制御を実現しました。」(生産技術センター會澤氏)

このように、低コスト化及び高性能化の要求に応えるべく家電製品に搭載されているブラシレスDCモータにセンサレス正弦波駆動制御が適用されるようになり、それを実現するのに最適なアルゴリズムがベクトル制御である。

PMDにより8ビットマイコンでインバータ制御を実現

東芝セミコンダクター&ストレージ社は、ベクトル制御における複雑な演算をCPUとは独立して処理できるコプロセッサ、ベクトルエンジンを開発し、ARMマイコンTMPM370グループから搭載している。TMPM370グループは、CPUコアにCortex-M3を採用したマイコンである。過去に東芝では、インバータ制御に向けたPMD(Programmable Motor Driver)を開発し、8ビットマイコンでインバータ制御を実現していた。

東芝マイクロエレクトロニクスの小柴氏は、「PMDには第一世代から第三世代まであり、第三世代になってベクトル制御になりました」という。東芝マイクロエレクトロニクスは、東芝セミコンダクター&ストレージ社の強力なパートナーとして半導体製品開発および、お客様に迅速でタイムリーなサービスとサポートをしている。

第一世代とは1990年代であり、矩形波駆動していた。「当時、他社のモータ制御向けマイコンは、保護機能付きの3相PWM出力回路を搭載していました。それに対してわれわれのマイコンは、位置検出機能とタイマ機能を一体化して連動することで処理応答の制約をなくし、8ビットマイコンでも容易に矩形波駆動を実現していました」(小柴氏)という。

さらに2000年代になってからの第二世代PMDは、正弦波駆動に対応したものだ。小柴氏は、「第二世代は、第一世代の機能に正弦波演算機能と正弦波位相を自動更新する電気角タイマを搭載しました。これにより乗算器を持たない8ビットマイコンでの正弦波駆動を実現しました」という。 このPMDにより、他社ではDSPや16ビットマイコンが必要なインバータ制御を8ビットマイコンで実現できた。

CPU処理時間を大幅に削減できるベクトルエンジンを開発

2003年からは、第三世代PMDの前期としてベクトル制御に対応した。これは、DSPや32ビットマイコンによるソフトウェアでのベクトル制御を実現するものだ。「ベクトル制御は、モータ電流やDC電圧の瞬時値を検出して演算処理を行う必要があります。そのため高速ADコンバータが搭載され、高速演算器を持つDSPや32ビットRISCマイコンが不可欠です。この電流および電圧はPWM出力に同期して検出するため、PMDとADコンバータが同期して変換開始するトリガ機能を追加しました」(小柴氏)。ここでの32ビットRISCマイコンは、MIPS系コアを搭載したTX19シリーズである。

さらに、最新の第三世代PMDでは、ベクトルエンジンとしてCPUとは独立したコプロセッサとしてベクトル制御を処理するものにまで進化した。これにより、CPUでのベクトル制御処理時間の約7割が削減できたという(サンプルプログラムによる計測値)。

「第一世代/第二世代のPMDのようにハードウェアを支援してくれるベクトル制御対応マイコンの要望、他社マイコンとの差別化、CPUコアのクロックアップに頼らないパフォーマンスの向上などを模索していました。そこで、生産技術センターと共同して、第三世代前期のDSPや32ビットマイコン開発及びソフトウェア開発での経験を活かしながら、ベクトル制御をソフト処理とコプロセッサによる処理とに機能分解を行ったベクトルエンジンを開発しました。また、ベクトルエンジンの演算機能や3相PWM/同期のPMDとの連携に適した多機能ADコンバータも開発しました」(小柴氏)という。このベクトルエンジンを搭載したのが、前述のARM Cortex-M3をコアとして誕生したTMPM370グループである。

生産技術センターとの共同開発によりベクトルエンジンを実現

ベクトルエンジンの開発でも生産技術センターとの共同開発がポイントであったという。「以前より家電製品のブラシレスDCモータをベクトル制御するソフトウェアの開発をやっていて、ベクトル制御については十分に理解していました。ベクトルエンジンのコプロセッサによる処理とソフトウェアの切り分けについては、それまでに培った経験が存分に活かせました。また、ベクトル制御には様々な動作に対応できるよう数十のパラメータがあります。これらのパラメータをベクトルエンジンにどう組み込んでいくかがキーでした」(會澤氏)という。

さらに、ベクトルエンジンの評価も生産技術センターと共同で実施したという。「ベクトルエンジンは特殊なので、その動かし方も含めてソフトウェアを組み込む必要があります。ベクトルエンジンさえあれば後は自動でベクトル制御ができるわけではありませんし、きちんと動くまで確認をして、それをマイコン開発側へフィードバックしました」(生産技術センター 鈴木氏)。

相変換や座標軸変換、PI制御の単独演算も可能

ベクトル制御の複雑な演算処理をコプロセッサ化することで、いままで処理時間がギリギリで苦労していた温度管理や力率改善(PFC)などのアプリケーション処理にCPUを集中させることができる。また、ベクトルエンジンは、CPUコアのクロック周波数を下げることができ、低消費電力化も図れる。さらに、相変換や座標軸変換、PI制御の演算を単独でも実行させることができ、既存のユーザプログラムとベクトルエンジンの一部の演算だけを組み合わせて使うカスタマイズも可能だという。まさに、インテリジェントなコプロセッサ、ベクトルエンジンである。

「ベクトルエンジンを初めて使うお客様のために、サンプルプログラムだけでなく、ソフトウェア説明書や各種制御レジスタの設定方法についての解説書も用意しています」(東芝マイクロエレクトロニクス 外山氏)。このサンプルプログラムは、生産技術センターとのやり取りの中で完成度を高め、お客様へ提供している。さらにベクトル制御のアプリケーションノートも用意しているとのことだ。外山氏によれば、「あるお客様は、ベクトル制御を扱うのは初めてで、なおかつ開発期間も短いという条件ながら、サンプルプログラムを活用することでベースの作り込みは想定以上に短期間でできたと大変喜ばれました」という。

東芝セミコンダクター&ストレージ社では、ARMコアに向けたオープンセミナーを開催している。その応用編として、モータ制御やベクトル制御のセミナーを開催しており、特にベクトル制御のセミナーは受講者が最も多いという。APS読者の皆さんにも、ぜひ足を運んでいただきたい。

大清快VOiCE NDRシリーズにTX03シリーズが貢献

ここからは、TX03シリーズが実際に使用されたアプリケーションとして東芝ホームアプライアンスの最新エアコンを見てみよう。

東芝ホームアプライアンスは、世界で初めて家庭用エアコンにインバータ制御を実現するなど業界をリードしてきた。「現在、家庭用エアコン市場は、高性能・高機能化はもちろん、ユニバーサルデザインへの要求や節電への貢献が求められています」と東芝ホームアプライアンス 野木氏はいう。

そこで東芝ホームアプライアンスでは、大清快VOiCE NDRシリーズを開発した。これは、「新型デュアルコンプレッサを搭載したことで省エネ性能を向上したものです。業界最小※1 の消費電力45Wで冷房する『涼風運転』、温風吹出し時間が業界最短約1分の『ダッシュ暖房』を実現し、使い易さと快適性、省エネ性を兼ね備えた製品となっています」(野木氏)。

デュアルコンプレッサは、ツインロータリーコンプレッサの圧縮部である2シリンダーを1シリンダーのみの運転に自動切替することで、回転数を落とさず高効率を維持したまま能力を下げることが可能となるものだ。さらにユニバーサルデザインとして、世界初※4 、音声で運転できるボイスコントローラを搭載。これはエアコンだけでなく、東芝製のテレビやLED照明の一部にも対応しオン/オフできる。

ベクトル制御の演算をコプロセッサ処理できることは画期的

この大清快VOiCE NDRシリーズの室外機にTMPM370FYFG、室内機にTMPM380FYFGが採用された。ちなみにマイコンで行っている制御は、室外ではコンプレッサ制御、ファンモータ制御、弁制御、高調波規制対応制御など、室内では送風制御、センシング制御、ルーバーモータ制御、フィルタお掃除機能制御などである。

採用の決め手について野木氏は、ベクトルエンジンの搭載、5V単一電源での動作、フラッシュROM内蔵、ARMコアの採用、高速ADコンバータなどをあげた。「耐ノイズ性が高い5V単一電源動作であることで、自己ノイズの影響を受けにくくなります。ARMコアの採用は今後のソフトウェア資産の有効活用という点からも大きなメリットです」(野木氏)。

5V動作については、ADコンバータの分解能にも影響する。大清快VOiCE NDRシリーズは、エアコンの消費電力を表示する「リアルタイムモニター」で、エアコンの使用状況によるその時々の消費電力の変化を確認できるようになっている。「そのためのモニタリングをADコンバータで行っていますが、3.3V動作と5V動作では精度が大きく違います」(野木氏)という。

フラッシュROMは、オンボードで生産ラインでもプログラムを書き込めるため、マスクROM版と比べソフトウェア開発をぎりぎりまで伸ばせるなどの利点がある。「われわれのフラッシュマイコンには、消去と書き込みが速いNAND型とランダムアクセスが早いNOR型の良いところを合わせ持つ東芝独自のNANO-FLASHTMを採用しているため、256Kバイト程度ならオンボードでも10秒以下で書き込めます。これによって量産性も飛躍的に向上します」(外山氏)という。「ベクトルエンジンは他社製品にはないものです。ソフトウェアの処理は年々大きくなっており、ベクトル制御の演算をコプロセッサ処理できることは画期的だと思います」とベクトルエンジンの効用を野木氏はそう語る。

サードパーティのツールでも窓口を一本化して対応

開発環境として、海外メーカ製を用いた。「いままではマイコンメーカから提供されるツールを使っており、サポートも全面的に依頼できていました」と、野木氏はARMマイコンに変更する際の不安を振り返った。それに対して外山氏は、「こういった心配は、よく聞かれることです。そこで当社では、開発環境の疑問点についても、まずは当社が窓口になってお客様からの質問やご要望をお聞きしています。東芝ARMマイコンをお使いいただく際には、ワンストップで解決いたしますので、まずは安心してお使いいただける環境が整備されていることを知っていただきたい」という。

さらに、前述のセミナーでは開発ツールの使い方についても学べるとのことだ。大清快では、ARMマイコンの採用以前は、同じ東芝セミコンダクター&ストレージ社の提供するMIPSコアを搭載したTX19シリーズを採用していた。「これまで使用していた東芝製マイコンの機能を多く流用できるため、新規メーカを採用することに比べ、開発負荷は軽くなりました」と野木氏は、東芝ARMマイコンの採用メリットをそうあげる。

東芝マイクロエレクトロニクスからのサポートも助かったという。「大清快VOiCE NDRシリーズは非常に短期間での立ち上げだったのですが、初期設定などをレビューしていただきスケジュールを守ることができました」(野木氏)。

生産技術センターと次世代ベクトルエンジンも開発中

TMPM370FYFG/TMPM380FYFG採用メリットとして、ARMコア自体の低消費電力化がある。「エアコンは運転以外の待機電力まで見られるようになっています。そこで、ARMコアならではの消費電力の低さは魅力です。今後はますますソフトウェアの規模が増えていく中、ソフトウェアの負荷を大きく低減できるベクトル制御のコプロセッサ化のメリットは大きいと思います」(野木氏)。

「日本の家電メーカ様は技術力が高く、ベクトル制御についてもソフトウェアで完璧なまでに固められているところが多くあります。それを私たちのベクトルエンジンで専用処理しましょう、といってもなかなか抵抗があるのも事実です。ただ、今後も高まっていく省エネ化へのニーズに応え、さらにお客様の製品の性能を向上させるためには、ベクトルエンジンによってCPU負荷を軽くしながら、効率を向上させる方が良いはずです。ベクトルエンジンの活用は、いままで以上のイノベーションを実現します」と外山氏はそう語る。

さらに、今後もベクトルエンジンは進化させていくという。現在、生産技術センターと共に次世代のベクトルエンジンを開発しているところだ。「使う側の立場に立った市場ニーズは、半導体ベンダーのわれわれだけでは分かりません。そこで、モータ制御のプロフェッショナルである生産技術センターと共同開発するのは大きな意味があり、東芝の強みでもあります」(外山氏)。鈴木氏も「お客様の視点から見て必要な機能をベクトルエンジンで提案、実現することでマイコン機能を差別化し、これからも技術者魂をくすぐるものを作っていきたい」と結んだ。

ベクトルエンジンは、モータ制御のプロフェッショナルと共に開発し、多くのアプリケーションに搭載されることで、さまざまな家電製品の省エネや高性能化に役立っていると実感した。